2009年 08月 09日
アレクセイ・スルタノフ追悼コンサート 終了しました |
2009年8月7日、スルタノフの記念すべき40回目のお誕生日に行われた追悼コンサートですが、無事に終了いたしました。私はあまり深くこのコンサートに関係していたわけではありませんが、立場上冒頭に挨拶をさせて頂き、また、様々な事情から、譜めくりという形でもお手伝いさせて頂きました。特に、音楽家でもない自分が、譜めくりという形であれ、舞台上で演奏に貢献できたというのは、この上ない喜びです(あまり譜めくりは得意ではないので普段は避けたいところですが・・・)。
演目・出演者など、いろいろと寄せ集め的な、ある意味お祭りのような形でしたが、奥様のダーツァさん、弟のセルゲイさんはもちろんのこと、スルタノフが闘病中のサポーターでもあったアイリーンさんがピアノを弾いて下さったこともとてもよかったことだと思います。アイリーンさんは音楽療法士ですが、パイロットでもある彼女は、2005年にスルタノフが亡くなった後、その遺灰を持って一緒にテキサスの海を飛んだ、とても大切な人でもあります。きっと、この大事なコンサートでピアノを弾いたことを、スルタノフもとても喜んだのではないかと思います。
ダーツァさんが弾かれた、サラサーテのカルメン幻想曲は、ヴァイオリンの難曲中の難曲ですが、スルタノフがホロヴィッツのカルメン変奏曲を聴くの聞いて、ダーツァさんは、どんなに無謀であってもチェロで弾く、と決めたそうです。多くのお客様に盛大な拍手を頂いて、とても幸せだったと思います。
ダーツァさんは日本のことをよく覚えていて、渋谷を歩いていると、Bunkamuraやタワーレコードのことを思い出したようです。また紀尾井ホールのことも、とてもよく覚えていらして、行きたい、行きたい、とおっしゃっていました。
セルゲイさんは、日本語も多少勉強されていて、初めてお会いしたときに「はじめまして。スルタノフです」と日本語で言われて、私はかなりどっきりしました。小柄で、とてもお兄さんによく似ており、とても不思議な感覚でした。とても優しいタッチで、美しい音色のピアノだと思いました。好きな作曲家はラフマニノフだそうです。
剣道など日本文化がお好きだそうで(格闘技という意味では、スルタノフ兄はテコンドー黒帯でしたが)、ファンから竹刀をもらっていました。
こういったコンサートをきっかけに、少しでもスルタノフというピアニストが、語り継がれるとよいなと思います。
演目・出演者など、いろいろと寄せ集め的な、ある意味お祭りのような形でしたが、奥様のダーツァさん、弟のセルゲイさんはもちろんのこと、スルタノフが闘病中のサポーターでもあったアイリーンさんがピアノを弾いて下さったこともとてもよかったことだと思います。アイリーンさんは音楽療法士ですが、パイロットでもある彼女は、2005年にスルタノフが亡くなった後、その遺灰を持って一緒にテキサスの海を飛んだ、とても大切な人でもあります。きっと、この大事なコンサートでピアノを弾いたことを、スルタノフもとても喜んだのではないかと思います。
ダーツァさんが弾かれた、サラサーテのカルメン幻想曲は、ヴァイオリンの難曲中の難曲ですが、スルタノフがホロヴィッツのカルメン変奏曲を聴くの聞いて、ダーツァさんは、どんなに無謀であってもチェロで弾く、と決めたそうです。多くのお客様に盛大な拍手を頂いて、とても幸せだったと思います。
ダーツァさんは日本のことをよく覚えていて、渋谷を歩いていると、Bunkamuraやタワーレコードのことを思い出したようです。また紀尾井ホールのことも、とてもよく覚えていらして、行きたい、行きたい、とおっしゃっていました。
セルゲイさんは、日本語も多少勉強されていて、初めてお会いしたときに「はじめまして。スルタノフです」と日本語で言われて、私はかなりどっきりしました。小柄で、とてもお兄さんによく似ており、とても不思議な感覚でした。とても優しいタッチで、美しい音色のピアノだと思いました。好きな作曲家はラフマニノフだそうです。
剣道など日本文化がお好きだそうで(格闘技という意味では、スルタノフ兄はテコンドー黒帯でしたが)、ファンから竹刀をもらっていました。
こういったコンサートをきっかけに、少しでもスルタノフというピアニストが、語り継がれるとよいなと思います。
by ymtokyo
| 2009-08-09 23:28
| スルタノフ